2010年 02月 10日
葛藤中
葛藤?ではないかもしれないけれど。
勝手に修行、と思っているお教室はとっても楽しく1日居てもいいくらいやりたいことがいっぱい。やりたいことが次々と浮かぶのでなんだかデザインの精査ができていない気はするのだけど、とにかく今はどんな事がどういう風にできるのか、が知りたくてとにかく手を動かしている。
が、やはり考える前に手を動かす、というのは無謀だと思うことも多々。もっと考えて修行場に向かわねばと思いつつ、慣れない作業からかお教室が終わるとぐったり。元々集中力がない自分が鬼のように集中しているというのも大きいところながら、とにかく帰路はいつも頭の中は反省でいっぱい、肩はずきずきと鉄の固まりでも担いでいるかのように重いのだ。
そうして2日連続の修行が終わるとその後の日々はのんべんだらり、この時間を活かしてデザイン考えたり本読んで勉強したりするべきながら他の事も気になってどうにも集中できない。
そんな状態で今。自分の思い描いたデザインは物理的にかなり難しいという事に直面中。解決策はいくつかあるけどそのどれもが自分の中で「それじゃこのデザインの意味がない」というものばかり。もしかしたら想像しているより理想に近い形にできるのかもと今日も手は動かしつつ少しずつ「諦め」に浸食されてゆくのを感じることもしばしば也。
諦めという奴は本当に恐ろしい。奴が近づく度にやる気が削がれてゆくのをひしひしと感じる。あんなに楽しんでやっている事が途端につまらなく思えてしまう。職人さんというのは気難しくていかついイメージがあるけれど、それはむかぁし私が今思っているのと同じように「諦め」と何度も対峙してきたからかもしれないと思う。私が言うのもおこがましいことではあるけれど。
そう言えば、と思い出したことが一つ。昔から私はすぐに何でも早々に諦める事が多く、例えば、もし崖から落ちて偶々木の枝に引っかかってそれでもそれ以上為す術もないと思える時にどうするか、という話になった時に私は即答で「だったらもういっその事手を離して落ちる。」と答えたのだけど、相方は「最後まで考える」と答えたんだった。これは極端な話だけど、それでも日常の中で多々有るもう少しソフトな、でも似たようなシチュエーションに遭遇する度に目にする相方の諦めない姿は、時には私を苛立たせ時には馬鹿じゃないかとまで思わせつつもゆっくり私に浸透していっているらしく、最近はちょっとだけ自分も粘るようになってきた。
逆に相方の方は少しぐうたらになってきた感があるけれど、そうやって互いに少しずつ浸食しあっているのであろう夫婦って不思議な関係だなぁ、と思いつつ、なんとなく私に似ているような気がする愛犬の姿を見るにつけても家族って不思議だなぁと思うのだ。
最近相方が言った「Yは違う学部に行った方が良かったのかもね。」という一言に、今自分がやりたい事がはっきりしているという喜びと共に、それでもあの学部に居たからこそ皆に会えたのだと思うとニヤリとしてしまう自分が居る。
photo book使ってイメージ
勝手に修行、と思っているお教室はとっても楽しく1日居てもいいくらいやりたいことがいっぱい。やりたいことが次々と浮かぶのでなんだかデザインの精査ができていない気はするのだけど、とにかく今はどんな事がどういう風にできるのか、が知りたくてとにかく手を動かしている。
が、やはり考える前に手を動かす、というのは無謀だと思うことも多々。もっと考えて修行場に向かわねばと思いつつ、慣れない作業からかお教室が終わるとぐったり。元々集中力がない自分が鬼のように集中しているというのも大きいところながら、とにかく帰路はいつも頭の中は反省でいっぱい、肩はずきずきと鉄の固まりでも担いでいるかのように重いのだ。
そうして2日連続の修行が終わるとその後の日々はのんべんだらり、この時間を活かしてデザイン考えたり本読んで勉強したりするべきながら他の事も気になってどうにも集中できない。
そんな状態で今。自分の思い描いたデザインは物理的にかなり難しいという事に直面中。解決策はいくつかあるけどそのどれもが自分の中で「それじゃこのデザインの意味がない」というものばかり。もしかしたら想像しているより理想に近い形にできるのかもと今日も手は動かしつつ少しずつ「諦め」に浸食されてゆくのを感じることもしばしば也。
諦めという奴は本当に恐ろしい。奴が近づく度にやる気が削がれてゆくのをひしひしと感じる。あんなに楽しんでやっている事が途端につまらなく思えてしまう。職人さんというのは気難しくていかついイメージがあるけれど、それはむかぁし私が今思っているのと同じように「諦め」と何度も対峙してきたからかもしれないと思う。私が言うのもおこがましいことではあるけれど。
そう言えば、と思い出したことが一つ。昔から私はすぐに何でも早々に諦める事が多く、例えば、もし崖から落ちて偶々木の枝に引っかかってそれでもそれ以上為す術もないと思える時にどうするか、という話になった時に私は即答で「だったらもういっその事手を離して落ちる。」と答えたのだけど、相方は「最後まで考える」と答えたんだった。これは極端な話だけど、それでも日常の中で多々有るもう少しソフトな、でも似たようなシチュエーションに遭遇する度に目にする相方の諦めない姿は、時には私を苛立たせ時には馬鹿じゃないかとまで思わせつつもゆっくり私に浸透していっているらしく、最近はちょっとだけ自分も粘るようになってきた。
逆に相方の方は少しぐうたらになってきた感があるけれど、そうやって互いに少しずつ浸食しあっているのであろう夫婦って不思議な関係だなぁ、と思いつつ、なんとなく私に似ているような気がする愛犬の姿を見るにつけても家族って不思議だなぁと思うのだ。
最近相方が言った「Yは違う学部に行った方が良かったのかもね。」という一言に、今自分がやりたい事がはっきりしているという喜びと共に、それでもあの学部に居たからこそ皆に会えたのだと思うとニヤリとしてしまう自分が居る。
by wakka-w
| 2010-02-10 10:45
| 誘惑